心に噺がおじゃましまっす!

心の端にそっと置いてもらえるような物語を目指して書いています。

時節菜《じせつな》 第1話 ~序章・刹菜~

■序章
「カナ、水菜好きねぇ」
「うん。これは私の仲間だからね」
カナと呼ばれた女性はお弁当の他にわざわざ水菜だけを詰めたタッパーを、幸せそうに開けた。
カナは美味しそうに水菜を次々と口に運ぶ。
「なにそれ?」
「これはお母さんから聞いた、おとぎ話なんだけどね」
カナはそう前置きして、口の中の水菜を飲み込んで話し始めた。
「水菜は今日菜《きょうな》とも呼ばれていてるの。今日菜には昨日菜《きのうな》・明日菜《あすな》・刹菜《せつな》って云う仲間がいるんだよ。この仲間をまとめて時節菜っていうんだ。その中の、刹菜の別名が火の菜って書いて火菜《かな》っていう名前なの。それが私の名前の由来なんだ。だから水菜は私の仲間なんだよ」
「おとぎ話ねぇ。でも刹那ってなんか儚いね」
カナに話しかける女性はうーんと唸った。
「刹菜はお母さんのお気に入りの花だからね。ほんの一瞬だけ燃えるように真っ赤な花を咲かせるんだよ」
「まるで見た事があるみたいね」
「うん、実は見た事あるんだ。昨日菜と明日菜も見た事あるよ。気のせいかもしれないけれど、今の私があるのは時節菜のみんなのおかげだから」
カナは遠い目をしてそれぞれの時節菜を思い出しているようだった。

 


■刹菜
刹菜は平和な『時』を漂っていた。そしてある時、刹菜は一組の親子を見つけた。母親は愛情溢れる笑顔で娘を眺め、小さな女の子もそれに応えていた。とても仲睦まじく幸せな『時』を感じた。
「おかーさーん、お団子あげるー」
女の子が砂場で作った砂のお団子を母親の下へ運び、いくつも並べていた。
「カナ、そろそろ帰るわよ」
女の子の名前はカナと云うらしい。偶然にも刹菜の別名と同じだった。


カナは良く遊び、良く学ぶ子だった。そしていつも母親と一緒だった。そして母親の生活も娘中心となっているようだった。カナの自立心を育む為、寝る時だけは別々だった。
母親の一日は誰よりも早く忙しい。朝食と昼のお弁当を同時に作り、出来上がる頃に父親が起きてくる。そして、ぐずるカナを起こし朝食をとらせる。朝食は母親の仕事を増やす。カナが食べこぼしたところを拭き、カナに行儀を教える。自分が食べるのもそこそこに父親を仕事に送り出し、食器を洗う。その際もカナが何か粗相をしないか常に見ている。


カナは本が大好きで、母親が忙しい時はいつも本を読んでいた。分からない漢字は読み飛ばして後で母親に聞いていた。しかし、ある時ひらがなで書かれているのに意味が分からない言葉があった。『おっしゃる』という言葉だった。しかも登場人物は頻繁に『おっしゃる』ので、どうしても気になった。母親は洗い物で忙しそうなので邪魔したくない。カナは少し前に辞書の使い方を教わったばかりだった。一人で辞書を使えたら母親は褒めてくれるかもしれない。そう思って辞書を探した。辞書は本棚の上の段にあった。カナには届かないところだ。下の段にはカナの好きな本が詰まっているので仕方がない。大人用の大きな椅子は重くてとても運べない為、カナは自分用の小さな椅子を台にしてみた。しかし全く届かない。椅子に本を積み重ねてその上に乗り背伸びしてみた。それでも全然届かずどうしようかと悩んでいた。
「何してるの!」
母親が駆け寄ってきてカナを抱き上げた。手は泡だらけで洗い物の途中だった事にカナも気付いたようだった。
「危ないじゃない。カナの本は下の段に全部あるでしょ?」
母親はとても怖い顔をしていた。母親を邪魔したくなくて声をかけなかったのに、褒められたくて辞書を取りたかっただけなのに、なんで怒るの?
カナは悲しくて悔しくて申し訳なくて、色々な感情が渦巻いて何も言えずに泣いてしまった。出しっぱなしの水がジャーという音を立て、カナの泣き声と重なった。


カナはあまり友達と遊ぶ事は無かった。どこへ行くにも本を持ち歩き、独りで本の世界に没頭していた。新しい本が次々と欲しくなり、まだ読んでいない本がカナの部屋を埋め尽くした。ある時イルカが出てくる本を読んだ事があり、イルカに夢中になった事があった。本に出てくるイルカはとても賢く、とても可愛く、とても勇敢だった。カナは母親にイルカについて熱く語った事があった。普段から大人しいカナの珍しい姿に感激した母親はガラスでできたイルカの置物を買い与えた。本で埋め尽くされた殺風景なカナの部屋を、唯一イルカの置物が彩っていた。母親はもう少し女の子らしく育って欲しいと思っていたのかもしれない。


「おやすみなさい」
カナは自分の部屋のベッドで母親に見守られながら目を閉じた。母親はカナの寝息を暫く聞いてから部屋を後にした。母親は隣の自分の部屋で静かに眠りについた。


夜明け前の事だった。カタカタカタと家具が揺れる音で母親が目覚めた。刹菜はその時大きく成長し燃えるように真っ赤な花を咲かせた。母親は刹菜の花を見ると同時に跳び起きて、カナの部屋へ駆け込んだ。

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「カナ! カナ!」
母親の叫びとドンッという音が重なり部屋が大きく揺れた。母親はカナの上に覆いかぶさり、その上に本がバラバラと落ちた。そして刹菜は陽炎のように消え、再び種となり飛び立った。


 その日、刹菜の仲間が各地で咲き乱れた。辺り一面が一瞬だけ赤く染まり、そしてふわりと消えていった。