心に噺がおじゃましまっす!

心の端にそっと置いてもらえるような物語を目指して書いています。

時節菜《じせつな》 第2話 ~昨日菜~

■昨日菜
昨日菜は十年ほど前からカナという女の子の傍で漂っていた。その女の子は友達に馴染めず、孤独な小中学校時代を過ごしていた。カナは特にいじめられていた訳では無かったが、学校では一言も言葉を発する事なく過ごす事が多かった。


カナには母親の他にもう一人、良くおしゃべりをする人がいた。それは近所に住む祖母だった。祖母はいつもカナの味方で、ニコニコと話を聞いてくれていた。母親の実家なので母親と一緒に来る事もあるが、カナは一人でも祖母に会いに来ていた。
祖母は色々な事を教えてくれた。カナは学校で教わる事より遥かに為になると思っていた。そして何より、祖母も子供の頃は学校に馴染めず友達が居なかったと言っていた。カナはその頃の話を聞く事が好きだった。


「誰に対しても誠実でいるんだよ。」
これが祖母の教えだった。誠実であればいつか人はそれを分かってくれる。分かってくれる人はきっとあなたにとって最高の友達となるから。


「自分を偽ってはいけないよ。」
例え偽ってもいつかは分かるものだから。嫌な事は嫌だと言っておかなければ、後で分かった時に大きく相手を傷つけてしまうよ。


「過ちに気付いたらすぐに謝るんだよ。」
例えそれが故意でなかったとしても、人は過ちを犯してしまうものだから。言い訳をせずに自分の過ちを見つめ直すものだよ。
数々の言葉がカナの心に染み込んでゆく。やがてそれは、カナ自身の信念となって根付いていった。


高校受験が終わったある日の事だった。
カナは自分の部屋を飾るガラスのイルカを眺めていた。しっぽの部分に接着剤でつけた跡がある。地震の時に折れてしまったのだ。それでもカナはその置物が好きだった。母親がカナを守ろうと必死だった事を思い出せるから。
プルルルルル
家の電話が鳴った。母親が出たようだ。
「カナ、支度しなさい!」
電話を終えた母親が叫んだ。その声は震えていた。普段物静かで叫ぶ事などほとんどない母親の取り乱した声が、地震のときに感じた強い不安を思い起こさせる。
オシャレを知らないカナは支度と言われても何もする必要がなく、そのまま母の下へ急いだ。
「おばあちゃんが危篤だって」
車出すから、と言って母親は外へ走って行った。カナは茫然と立ち尽くしていた。つい先日会ったばかりだった。その時はとても元気だった。少し腰が痛いと言っていたが、お茶も一緒に淹れたくらいだ。何かの間違いじゃないの?カナは半信半疑だった。


病院へ着くと祖父が待っていた。病室では祖母が機械に繋がれ、機械はピコンピコンと不穏な音を立てていた。
「おばあちゃん……」
カナは祖母の手を握った。祖母の手はいつも通り温かかったが、返事は返ってこなかった。母親は祖父の胸で泣き崩れた。


日が沈み闇が空を覆いつくした頃、祖母は静かに息をひきとった。


カナは受験が終わっていたので卒業式まで学校を休む事にした。学校へ行くような気持ちにもなれなかったし、まだ受験が終わっていない人達に遠慮した事もあった。

 

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祖母の葬儀はひっそりと少人数で執り行われた。
昨日菜はその葬儀の傍らでそっと花を咲かせた。昨日菜は土菜《つちな》とも呼ばれていて、どっしりとした土色の花を咲かせる。過去は引きずるものではなく、大切にしまっておくものだ。引きずってしまえばいつかボロボロになり、思い出そうとしても上手く思い出せなくなってしまうものなのだ。丁寧に包んでしまっておけば、前を向いて歩んでゆけるものだから。
昨日菜の想いがカナに伝わったかどうかは分からない。ただ、葬儀を終えた後のカナは凛とした表情を浮かべていた。


卒業式の日、カナは同じ高校へ行く『友達』に話しかけていた。
「佐伯さん、高校でもよろしくね」
佐伯と呼ばれた女の子もカナと同じく、あまり周りに馴染めていないようだった。カナに話しかけられた時も独りだった。
「色々と大変だったね。こちらこそよろしくね」
佐伯と呼ばれた女の子の優しい声を聞いて、昨日菜は種となり遠くへ飛び立った。